Blanche

娘と父親、父親の友人によるロックユニット。童話のようなオリジナル組曲を演奏しています。 -----------------------  【ライブ情報】  次のライブは12月30日(月)に伊豆市の道の駅月ヶ瀬で13時30分より演奏します。さらに12月31日(火)に西伊豆仁科の音楽喫茶Westで夜20時~23時まで開催される年末企画ライブでトリに演奏予定です。来年の地元六角橋サミーズハワイアンカフェでの初ライブは2月2日を予定しております。 -----------------------

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PROFILE

Blanche

【Blancheの音楽について】

1. 童話的組曲が主体
 音楽の聴こえは変化しても、1993年から変わらずにこの手法で曲作りしています。単発の曲もありますが、基本的には童話的なストーリーのある組曲です。

2. ○○系ではなく、ただのロック
 オーソドックスなプレイヤーでありながら、オリジナルバンドは孤高のジャンルであるべきと考え、○○の付かないロックです。
 しかし、ロックと言うとボーカルがキェ~ッと吠えて、フォルテッシモな演奏をし続ける煩いだけのものと思われている方もおられるようですが、我々のコンセプトとしては「童話的組曲」なので、視聴者の対象年齢は2~3歳から80歳代くらいまでを考えており、特に低年齢層へのロックアプローチを重んじているため、ソレとは全く違うアプローチとなります。
 なので、ボーカルスタイルとして理想なのは保育者的「うたのお姉さん」なボーカルスタイルですし、オトナが「子どもは童謡だけでロックの演奏など楽しめない。」と勝手に決めつけている一種の勝手な呪縛から子どもたちを解放し、かつ、オトナに対しては「理想的なオトナの幼稚園」になることがバンドの目指す方向性となっています。




【net配信について】

 "Twitter Live"(及び"Youtube Live")にて毎回ライブを生配信していましたが、もうすでにコロナ禍での来場規制は解除されているところ、また、同日の生配信の視聴者も10人未満に減少してしまったので、終了させていただく事とします。
 元どおりに、netでの配信活動については、実際のライブを配信するのでなく、ライブとは別の日に「Twit Casting」より、バンド練習中に30分の生配信で、東北や関西等の遠方に住むバンドのサポーターの方々とチャットで語り合いながら親睦を深める「座談会+軽く演奏」に戻していこうと思います。

https://ja.twitcasting.tv/masakazuakutsu






HISTORY

2011/8 【1985年 ギター阿久津が在籍したKenmi MissTones解散】

【1986年 阿久津と村上が加入していた地元のブルースバンドを脱退】

【1987年 前身バンド結成(旧名称Wonder Boys)アメリカウエストコースト系オリジナル中心のバンド】

【1990年 自主制作レコード2作発表後、一度目の解散】

【1993年 再結成】


【1999年 音楽性を組曲主体の童話的な内容へと変更し、自主制作CD6作発表後、2度目の解散】

【2000年 2〜3人組民族楽器ユニットsiloamとして再結成(自主制作CD3作発表)】

【2004年 通常のバンド編成に戻る】

【2005年 ボーカルに実の娘(当時中3)を加入させ、モダンレトロなバンドとして再出発】

【2009年 ドラマー脱退後もビデオの活用等で無理矢理活動を維持。(自主制作CD4作発表。)】

【2011年8月14日siloam解散】 

【2011年12月 4ケ月の器材調整等準備を経てやや音楽性を変更、同じメンバーにてドラムレスのユニット"Beware of Moving Wax doll"活動開始】

【2013年2月 ついにAmazon、iTunes等で世界配信を敢行】
2015 【念願だった毎月ライブの敢行】
 ホームグラウンドとしたのは東横線白楽駅そば「Sammy's Hawaiian Cafe」という雰囲気の良い小さな店。2016年3月まで、毎月ライブを行います。
2016/8/21 新作組曲「続・人形大戦」と旧作「人形大戦」をペアにした11曲入り53分のCD付きストーリーブックを発売開始。(@1,000円)
2017 ライブ拠点場所の地元Sammy's Hawaiian Cafeでのライブを年3~4回程度に減らし、渋谷Mahoganyも拠点活動場所に加えて活動開始した。
2019/5/1 ユニット名をフランス語の白という意味の「Blanche」に変更した。
理由は定年退職で金欠になるため、愛車をBMW320iからVolkswagen UP!の白に乗り換えたため。
2020/2/2  ギター阿久津が定年退職後再雇用の低所得者になり、ライブの集客状況が不安定な現状から主催ライブを"Sammy's Hawaiian Cafe"のみとし、ライブ実施を毎月第一日曜のお昼とした。
2020/7/5  4月から6月までコロナの影響で活動自粛、7月から徹底的に感染予防対策を行って主催ライブのSammy's Hawaiian Cafeでの月1回ランチライブのみ再開。
2020/8/15 2008年に制作した組曲「マーリンと赤い竜はユニコーンを救う」をリメイクし、配信販売開始。(1,350~2,000円)
ライブ会場ではCDブックとして1,000円で販売開始。
2020/9/13 8月からスマホ用ライブ配信サイトPocochaを使って主催ライブ等を配信することにしたが、使いにくかったため、10月からはTwitter Liveから配信する事とした。

https://twitter.com/masakazuakutsu

2023/2/6 コロナ禍のライブ自粛解除となり、ライブ生配信よりチャット座談会的なコミュニケーション+演奏へ切り替えることにし、"Twit Casting"で配信へ変更。

https://ja.twitcasting.tv/masakazuakutsu

MEMBERS

  • Masakazu Akutsu (阿久津雅一)

    Guitar担当

    【生年月日】
     1959年9月19日
    【メイン楽器】
    Greco WST-STD
     Van zandt Bronson (custom)
     Gibson SG Junior (改)
     Gibson SG Faded
     264Guitars Custom Legend
     TECH21 SANSAMP
     Valeton GP-100
     ※録音ではギターシンセサイザー
    【備考】
     ボーカル美妃の父親です。
     定年再雇用の超薄給サラリーマン。
     作曲も担当。
    【ギタリストへの質問】

    http://coburnx.exblog.jp/17516723/

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  • Miki Akutsu (阿久津美妃)

    Vocal担当

    【生年月日】
     1990年3月26日
    【メイン楽器】
    ・ZOOM V3 
    ・BOSS VE-2 Vocal Harmonist
    【備考】
     ギター阿久津の娘です。作詞も担当。
     高校生くらいに見えますが保育教諭として働いて10年です。

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  • Yasunori Murakami (村上泰範)

    Bass担当

    【生年月日】
     1963年3月11日
    【メイン楽器】
    Fender USA Mustang Bass
     Fender Player Jazz Bass
     Gibson SG Bass Standard
     Eastwood アンペッグフレットレスのコピー
     Westminster リッパーベースのコピー
     SansAmp Bass Driver
     ※録音ではギターシンセサイザー
    【備考】
     ギター阿久津とは38年以上の付き合いの友人です。
     京急「青物横丁」駅前の喫茶店「カフェムジカ」のマスターです。
     ■カフェムジカのホームページ↓

    http://www.cafe-musica.jp/index.html



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DISCOGRAPHY

組曲「マーリンと赤い竜はユニコーンを救う」

2008年に製作した組曲「マーリンと赤い竜はユニコーンを救う」ですが、現在ライブで演奏しているアレンジで録音し直しし、2020年8月にCDブックで発売開始しました。おまけの2曲として2006年に作った"Waiting for you"と、1989年に作った"レクイエム"を現在ライブで演奏しているアレンジで録音し直しました。
数多くの配信サイトより配信販売されていますが、個人的に再加工された音がとてもロックで気に入ったApple Musicのサイトを試聴サイトとして載せています。

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【続・人形大戦】組曲 2016年夏発表



 2013年にiTunes等より発売した「人形大戦」組曲に、さらに続編として6曲を追加し、2016年よりライブ会場のみにてストーリーブック付きCD-R"1,000円"で販売開始しました。

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組曲「人形大戦」

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空飛ぶ自転車と赤い竜

 

 2014年12月13日、iTunesおよびAmazonにて販売開始しました。
アルバム4曲の購入ではiTunesの方が安く450円です。
ぜひご購入いただけたら有り難く存じます。

http://itunes.apple.com/jp/album/flying-bicycle-red-dragon/id947645503?l=en





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BLOG

「生存報告日記 土曜日のミストーンズ同窓会ライブについて」

2024/12/16 18:00

今日の生存報告~。
 土曜日は40数年前にやっていたバンド(ケンミミストーンズ)のボーカル宮﨑謙実(世の中的にはぼくらとのバンドではなく営業的に成功したメイベリン/レッドショックのボーカルとして知られるボーカリスト)のショウジマルで行われた古希記念ライブでギターを弾いて来ました。
 超満員のお客様は当然ほぼレッドショックファンなので、サビの大合唱などもあり、凄い盛り上がりでした。
 いつもなら「いいなぁレッドショックは人気があって…」とお客様からの疎外感を感じてしまうところですが、以前も合同バンドで一緒に演奏をしているお二人なので、他人感はなく、ぼくなどはお客様の眼中になくとも、仲間意識の中で演奏することが出来ました。
 我々ケンミミストーンズのライブでは、お孫ちゃんの参加ギターソロや、謙実氏の奥様のいとこ(だったかな?)の左利きベースの参加もあり、若い力の後押しで、老人パワー全開で、ところどころ軽くミスの多い、まさにミストーンなサウンドでした。
 いや、しかし、メドレーで…って言われてたのに忘れるわ、慌ててカウント出さずにはじめるわ…で、いやぁ、ご迷惑をおかけしました。まぁ、俺ったら天然パーです。
 ムービーも妻に撮ってもらったのですが、ぼくの前で撮っているので本来なら脇役のぼくばかり映っていて、キーボードの武田さんもドラムの鎌田さんも映っておらず、岡澤さんも譜面台で顔が映っていないので、どんなバンドだったかわからないムービーになってしまい、アップするかどうか、ちょっとためらっています…。
 しかし、ミストーンズの音って、鎌田さんのドラムなんだよなぁ…と強く感じる夜でした。
 ただ上手いだけのドラマーはいくらでも居ると思うけど、鎌田さんの音のように、締まったタイトさと、ゆったりした中に安定したシングルストロークの6連符の速いブレーズが散りばめられ、なんというか、ビリーコブハムがスティーブガットのフレーズを叩いているような…。
 そして、言っちゃえばぼくが今一番気に入っているドラマーのマヌカチェにも音色が近い感じがする…。
 とにかく、素晴らしいドラマーだなと思う方々とも数人は演奏して来ていると思っていますが、ラディックの6インチ半のスネアの裏から聴こえてくる音色の素晴らしさが他のドラマーとは格段に違います。なんて良い音なんでしょう…。
 実は、今、娘の美妃とやっているバンドの打ち込みドラムですが、タイミングとか合わせとか、オカズとか、基本のドラムイメージとか…、ぼくが打ち込んだ曲では常に鎌田さんのイメージがあって作って来ました。それくらい、ぼくにとっては影響を受けているドラマーです。
 それに中ちんのベース。
 ぼくは自分の理想のベーシストのイメージを強く村上にお願いして来たと思っていますが、ただひとつ村上ができないスタイル、控え目なアンサンブリストでありながらもキラッと光るテクニカルなプレイ…両立って難しいというか…、自分以外のプレイヤーのプレイを楽しみながらそれを広げ、かつ、鎌田さんとタイトに拍間の空間まで演出する…かなりな余裕でプレイしなくちゃ、こうはいかない…。
 しかも、音量の大小に関係なく、バスドラとビシッとあった音色でありながら、タイトでまったく煩くなくて、ギターやキーボードとの音かぶりも本当に少ない…。これって、本当に凄い事だと思います。
 素晴らしい実績の岡澤さん、武田さん、ついでにぼくの上物楽器だけではミストーンズにはなれなかったけど、やっぱりこのドラムとベースだからあのサウンドになったんだったんだとつくづく感じる夜でした。
 バンドとしては失敗したバンドという事になりますが、ハワイで行われるとあるコンテストに出場していたバンドを素行不良でクビになった(リハーサル時の泥酔)ものの、そのコンテストの主催者のバックバンドに誘われ、山崎さんという作曲家のバックバンドのオーディションに受かっていたのに辞めてそのコンテストの主催者バンドに加入(理由はハワイの渡航費用の返金がないと知って、ならもったいないからハワイに行こう…という理由)、その後、そのバンドはそのコンテストの事務所を離れ、宮﨑謙実とバンドを組み、キーボードプレイヤーが武田さんに変更し、ケンミミストーンズのカタチになりましたが、当時、それぞれの個人ではステージ/スタジオミュージシャンとしてガンガン活躍していたバンドに引っ張ってくれたのは沢山の芸能人のバックバンドやプロデュースもされているぼくの好きなところでは柳ジョージのバックも務めたギターの岡澤さんが、クビになる前のぼくのプレイを見て引抜きを意見してくれたからでしたが、最初はいくらでも他をあたれるのに、なぜぼくのようなプロ経験がない者から引っ張るのか?と思われたのではないかと思います。
 同じメンバーでケンミミストーンズ以外の仕事もやって来ましたが、その際のリーダーは岡澤さんか鎌田さんでしたが、ケンミミストーンズはぼくのカラーで…という事だったので、のびのびやらせてもらいました。
 成功出来なかったバンドだし、レッドショック時代のファンの方々には顔も覚えていただける事はなかったけれど、ぼくの人生の中では間違いなく素晴らしいバンドだったと感じているし、今でもぼくのバンドの音づくりの教科書にしているし、ぼくらしい中途半端な立ち位置(バンドのメインじゃないけど、メンバーからも浮いた宙ぶらりんな立ち位置?)を決定づけ、その立ち位置以外では音楽をやりづらく感じることがわかった貴重な時間をくれたバンドだったと思います。
 40数年ぶりの演奏に感じたところは、そんな感じでした。

 で、家に帰ったらフットスイッチが届いていました。これで理想のエフェクターのセッティングが出来上がりです。マジックテープを貼らなくちゃ。
 と、やはりギターケースを背負って歩くと腰が痛くなってしまったので、今日は整形外科。
 帰りにラフィエスタでランチしました。

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